歩く人 巾川に借りている畑に朝行くと、ほとんど歩いているヤマシロヤのおばさん。 最初は回覧板まわしているのか、と思ったけど、回覧板は月に2回ですからねぇ。 撮影者: yoshidaosamu P 2015年7月10日 c コメント 3 Tweet
近藤庸平 on 2015年7月10日 at 6:48 PM - 返信 もう随分と昔々ですが。小生のお婆さんで、根羽村からお嫁に来た近藤かねのと言うお婆さんと、その夫で同じく子供の頃に中馬稼ぎ現R153号線及び豊橋・豊川市に向けた飯田街道(現R257号線で人馬の背中や馬車を使って、薪炭や用材及び雑貨等の運搬wやってた爺さんが、子供の頃に根羽村より貰われてきて育てられ成長すると今の家を別家として建設し。前述のかねのと言う女性を妻として迎えていた様です。そんな関係もあって、故浪合村の娘を、和合の働き者の息子に、その嫁として「おきょう」と言う娘を世話したらしいです。今は殆ど付き合いは有りませんが、子供の頃には盆暮の挨拶は必ずしていました。その度の付き合いは良くさせられましたので良く覚えています。その婆さんもお袋ももう死んでいませんが、和合の昔々は吊り橋だった現コンクリート橋の2軒程先に山羊かか羊を飼っていたおばさんがいて、子供達も娘2人と大工をやってた息子(外車の好きな)がいました。名前も忘れましたが 金田 と言った様な気がします。その後殆ど付き合いも無くなり今日に成ってしまいましたが。和合は今日もカメラ日和 のキャッチコピーを見ると、思い出は総天然色でよみがえります。昭和246月11日生まれの小生は先の6月11日で満66歳になりました。
yoshidaosamu on 2015年7月11日 at 1:40 PM - 返信 近藤様 コメントありがとうございます。 なにより励みになります。 金田姓は私の知る限りで、5軒です。調べればわかるかもしれませんね。
この記事へのコメント 3件
近藤庸平
on 2015年7月10日 at 6:48 PM -
もう随分と昔々ですが。小生のお婆さんで、根羽村からお嫁に来た近藤かねのと言うお婆さんと、その夫で同じく子供の頃に中馬稼ぎ現R153号線及び豊橋・豊川市に向けた飯田街道(現R257号線で人馬の背中や馬車を使って、薪炭や用材及び雑貨等の運搬wやってた爺さんが、子供の頃に根羽村より貰われてきて育てられ成長すると今の家を別家として建設し。前述のかねのと言う女性を妻として迎えていた様です。そんな関係もあって、故浪合村の娘を、和合の働き者の息子に、その嫁として「おきょう」と言う娘を世話したらしいです。今は殆ど付き合いは有りませんが、子供の頃には盆暮の挨拶は必ずしていました。その度の付き合いは良くさせられましたので良く覚えています。その婆さんもお袋ももう死んでいませんが、和合の昔々は吊り橋だった現コンクリート橋の2軒程先に山羊かか羊を飼っていたおばさんがいて、子供達も娘2人と大工をやってた息子(外車の好きな)がいました。名前も忘れましたが 金田 と言った様な気がします。その後殆ど付き合いも無くなり今日に成ってしまいましたが。和合は今日もカメラ日和 のキャッチコピーを見ると、思い出は総天然色でよみがえります。昭和246月11日生まれの小生は先の6月11日で満66歳になりました。
近藤庸平
on 2015年7月10日 at 6:52 PM -
時々覗かせて頂いています。楽しみにして拝見しています。
yoshidaosamu
on 2015年7月11日 at 1:40 PM -
近藤様
コメントありがとうございます。
なにより励みになります。
金田姓は私の知る限りで、5軒です。調べればわかるかもしれませんね。