2015年11月22日
木曽畑のカメラマン・ゆみさんと、ホウノキのひさこさんのところへ。
冬の間の保存食として伝承されてきた、伝統野菜・鈴ヶ沢ナスの粕漬けづくりの続きです。
前段の塩漬けを一緒にやったのは、鈴ヶ沢ナスの収穫を終える9月下旬。
なんだかんだ、あれから2ヶ月も経過していました。
この日はいよいよ粕に漬け込みます。
塩漬けにしたナスは、すっかり水分が抜け、小さくなっていました。
「酸い(すい)かもしれんに」とひさこさんが言うので、ちょっと舐めてみましたが、それほど酸っぱくなく、いい塩梅でした。
なすをザルにあげて、しっかりと水気を切り、砂糖をもみ込んだ粕をナスに一つ一つ、塗っていきます。
それを壺に重ねて入れました。
この壺は以前、梅漬けに使っていたものだそうです。
すべてのナスを入れ終わったら、その上に残りの粕でふたをします。
ひさこさんの説明にはなかったのですが、何気なく最後に砂糖を乗せていました。
これがさらにおいしくなる秘訣でしょうか。
虫よけに鈴ヶ沢南蛮の赤唐辛子を入れて、ラップで密閉して、重石をして、壺を漬物部屋へ運んで終了です。
ひと月くらい置いてから、再び粕で漬け直しをします。
あがってきた水を捨て、砂糖をもみ込んだ粕で同じように漬け直すことで、味がよく染み込むのです。
ここまでくれば、もういつでも食べられます。
粕漬けが終わった後、ひさこさんの家にあがっての恒例のお茶タイム。
今日は何の漬物が出てくるのかなあと、毎回楽しみです。
先に漬けてあったという、鈴ヶ沢ナスの粕漬け。
ひさこさんは「辛いら?」(辛い=塩辛い)と言うのですが、ちょうど良い漬かり具合で、甘みがあっておいしいのなんの!
それから、野沢菜の浅漬け。
お隣の天龍村からもらったという特産の柚子と一緒に漬けてありました。
柚子を漬物に入れることはよくありますが、野沢菜漬けの柚子は初めてでした。
柚子香る野沢菜漬けは新鮮で、さすがひさこさんとしか言いようがありません。
最後は赤カブと大根の甘酢漬け。
どれを取ってもおいしいです。
ゆみさんが「これを順番に食べとったら、止まらん。いつまでもお茶が飲める」と思わず言いました。
「いくらお金を積んだって、ひさこさんの漬物はここでしか食べられんのだに」
本当にその通りです。
さて、粕漬けをしながら気になったのが、南天。
和合には、ほとんどの家の軒先に南天が植えられているのだと、ゆみさんが教えてくれました。
南天と言えば、日本では「難を転じて福となす=難転」に通じることから、縁起木として愛されてきたように、厄除けの意味で植えられているのでしょう。
鈴ヶ沢南蛮は、納屋に乾燥させてありました。
きれいに真っ赤に色づいています。
なぜか軒先の物干し竿にも、ネットに入れた南蛮がぶら下がっていたのですが、これは昔からの風習である魔除けのためのものでしょうか。
山の暮しには、こういった昔ながらの風習が、当たり前にかつ大切に守られています。
暖冬の今冬とは言え、標高の高い鈴ヶ沢は夕方ともなると、ぐんと気温が下がり、腰の辺りが冷えてきました。
豆炭のこたつにあたりながらお茶を飲んでいると、ほっこりして心地よい眠気が襲います。
ひさこさんの愛猫・エリちゃんも、いつもは外を飛び回ってばかりですが、こたつの中までは入らないものの、豆炭で温められたこたつ布団の上で気持ち良さそうに寝ていました。
2015年10月17日
曇りのち雨の天気予報でも、朝から青空が広がり、じんわり汗ばむくらいの稲刈りや脱穀の農作業には最高の日。徐々に色づいていく紅葉を眺めながら、イモバタのちさとさんを訪ねました。
だいぶ疲れている様子でしたが、昨日は半日、鎌で草刈りをしていたとか。
来週、公道からちさとさん宅に登る坂道に、コンクリートを打つことになり、そのための準備のようです。
ちさとさん宅に行くための坂道はかなり急で、やたらに車が入ることができません。月に2回の病院の診療日には、病院のお迎えの車が坂の下までは来てくれるのですが、ちさとさんは自分の足で坂を下り、帰りは登らなくてはならず、それがもう相当しんどいのだそうです。
ちさとさんがお嫁に来た頃には、まだ家に登る道がなく、道を整備して作りました。コンクリートを打ち直すことで、車が上まで入れるようになり、診療日のお迎えも、楽になることでしょう。
そんな話をしながら、ちさとさんの煮物をいただきました。「おばあが作るやつは、しょっぱいに。もう舌が馬鹿になってきとるもんで、おいしくないに」と言われましたが、とんでもない。ついついたくさんつまんでしまいました。にんじんは、ちさとさんが育てたものです。
それから、餅から手作りで作ったおせんべい。これは同じ阿南町の新野地区在住の方が個人で作っているものです。少し硬めですが、素朴な味わいです。
伝統野菜の鈴ヶ沢南蛮は、霜が降りるギリギリまで置き、赤く色づくのを待ちます。そろそろ霜が降りるんじゃないかと、集落の人たちと心配していましたが、今のところまだ霜は降りていません。
ほとんどの鈴ヶ沢南蛮が真っ赤になり、収穫を待つばかり。赤くなった南蛮は収穫した後、縁側などに並べて日に当てて乾燥させます。しっかり乾燥させないと、実の中にカビが生えてしまいます。南蛮を買い取ってもらい「少しでもお小遣いになりゃあうれしいなあ」とちさとさん。夏からずっと元気のないちさとさんにとって、ささやかな楽しみかもしれません。
乾燥させた南蛮は、一味唐辛子になります。鈴ヶ沢の一味唐辛子は、辛いけれど思わず「うまい!」と叫んでしまうほどのおいしさ。ただ辛いだけではく、うま味があるのです。私は辛いものが苦手でしたが、この一味唐辛子は病みつきになりました。
南蛮が青いうちに作る唐辛子味噌もこれまた辛いのですが、マヨネーズと合わせて味噌マヨネーズにすると、味がまろやかになります。夏場の伝統野菜「鈴ヶ沢うり」のスティックに付けて食べると最高です。味噌のままでは、おでんに付けたり、白飯にのせて味わっています。
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ちさとさんとお茶を飲みながら世間話に夢中になっていると、日が陰り始めました。夕方4時近くになると、もう日が山の影に隠れていきます。日が落ちると一気に肌寒くなりました。日中は暑いくらいの陽気だったのに、山の日暮れは早いです。
朝晩はかなり冷え込むので、ちさとさんはもう「ねこ」を背負っていました。
※ねこ…長野県南木曽町に昔から伝わる袖なしの防寒着
袖はなくとも背中を覆うだけでもとても温かく、しかも軽くて動きやすいのが特徴です。
翌日は親戚がやってきて、皆で稲の脱穀をするそうです。
明日も晴れますようにー。
そんなふうに願いながら、鈴ヶ沢を後にしました。
2015年9月23日
シルバーウィーク最終日、木曽畑在住のカメラマン・ゆみさんと、ホウノキのひさこさんを訪ねました。
ちょうど2週間前に訪れた時、伝統野菜・鈴ヶ沢なすの粕漬けの漬け方を教えてもらうと約束したのです。
鈴ヶ沢なすの粕漬けは、冬の間の保存食として伝承されてきました。
久子さんは「もうエライで(大変だから)、今年は作らん」と言っていましたが、ゆみさんに「粕を買ってきてやるで一緒にやるか」と言われ、教えてくれることになりました。
もう間もなく今年の収穫を終える鈴ヶ沢なすを、サイズの小さなものまで採ってきて、段取り良く準備されていました。
こういう日は、朝から準備して待ってくれているのですね。
粕漬けは、塩漬けをしてから10日ほど置いて粕に漬けるので、今回は塩漬けをしました。
ヘタを切り落とし、皮をむいて二つ割にし、桶に敷き詰めていきます。
一段並べるごとに、久子さんが塩をまぶしました。
分量を書き留めようと、ノートを持っていったのですが、すべて目分量です。
久子さんの長年の勘と経験によるので、これは数値化できるものではないのです。
一度習ったからと言って、そうそう簡単に習得できるものでもありません。
重しをして蓋をして、久子さんの漬物部屋に保管しました。
粕に入れるタイミングは、10日後くらいだそうですが、これも天候によってタイミングが変わるので、今の時点でいつとは決められないのですね。
塩漬け作業が終わると、久子さん宅にあがって、大相撲中継を見ながら、お茶を飲みました。
お茶うけには、みょうがの粕漬け、甘酢漬け、昨冬に漬けて冷凍してあったたくあんを出してくれました。
たくあんは冷凍しておくと、1年じゅう食べられるのだそうです。
「お菓子はないけえど」と久子さんは言いましたが、「ここに来たら、お菓子なんていらんに。久子さんの漬物が食べたい」と返しました。
世間は連休でも、山の暮しには相変わらずの穏やかな時が流れていました。
畑の様子はということ、鈴ヶ沢南蛮は赤く色づいたものが増えていました。
青南蛮も収穫してありました。
そして家の玄関には、大量の栗が。
「これ、どうするの?」と久子さんに尋ねると「落ちとったもんで拾ったけえど」との返答。
小ぶりの栗なので、これを調理するのは大変でしょうか。
それから、怪しいキノコ。
久子さんが採ってきたものですが「誰かに聞かんと、馬鹿キノコか食べれるか分からんもんで置いてある」とのことでした。
これはいかにも怪しい…。
そうこうしているうちに、日が傾き、一気に肌寒くなりました。
久子さんが入れてくれたこたつが温かくて気持ちの良かったこと。
大相撲好きの私は、久子さんとすもじょ(相撲女子)トークで盛り上がりました。
山の暮しには、もう冬が近づいています。
2015年9月10日
飯田市を出発した時は、天気予報どおりに久しぶりのいい天気で、暑さも真夏日に戻ったようでしたが、和合に入って鈴ヶ沢に向かうにつれ、激しい雨が降り始めました。
雨が止んだかと思ったらまた降り始めたり、お天気雨だったり、鈴ヶ沢にいる間じゅう変な天気でした。今年の夏のおかしな天候を象徴しているかのようでした。
【ホウノキ ひさこさん】
ひさこさん宅にあげてもらうと、こたつを入れてくれました。
前回お邪魔した8月の頭は「暑い、暑い」ともんぺの裾をまくり上げていたのに、お盆頃から雨の日が多く、それまでの連日の猛暑が嘘のように急に涼しくなりました。朝晩は寒くてこたつがないといられなくなったそうです。
先ほどの突然の雨で急激に気温が下がり、私もこたつが温かいと感じました。
ひさこさんは早速、みょうがの酢漬けと梅漬け、茹でたとうもろこしを出してくれました。いつも謙遜して「こんなおばあが作ったものなんかおいしくないに」と言いますが、ひさこさんが出してくれたものでおいしくなかったものなんて今までありません。
特にみょうがの酢漬けは「辛い(=酸味が強い)」と言われましたが、酸っぱすぎず絶妙の味加減でした。
畑では伝統野菜の鈴ヶ沢なすが、まだまだ立派に育っていました。白い布をくくり付けてあるなすは、種採り用のしるしです。
鈴ヶ沢うりは今年の栽培を終え、うりを植えてあったところには、冬に向け、葉物の種が蒔かれていました。
鈴ヶ沢南蛮は、赤く色づき始めていました。すべて赤くなるまで放っておき、最後にまとめて収穫し、一味唐辛子などに加工します。
小雨が降る軒下では、和合カメラの木曽畑在住カメラマンのゆみさんによる、床屋さんが始まりました。
山の中の暮しでは、髪を切りに行くのも一苦労。山を下りて隣町まで行かなくてはなりません。
ひさこさんの長く伸びたきれいな白髪が、ジョキジョキと切られていきました。
えりちゃんの彼女
【イモバタ ちさとさん】
ちさとさん宅の真下にある田んぼは、稲穂に実が成り、一か月前は青々としていた田んぼも黄色くなりつつありました。
ちさとさんの畑には、鈴ヶ沢うりはまだあるものの、種採り用のうりだけを残している状態でした。
鈴ヶ沢南蛮は、ひさこさんの畑と同様、赤くなり始めていました。
鈴ヶ沢なすは、動物に食べられてしまい、実を食べるのではなく、粉々に砕いていくのだそうです。最初はカラスが突いているのかと思ったのですが、どうやらハクビシンの仕業のようです。
「実を食べてくれるならまだ諦めがつくが、食べずに粉々にしていくのは悲しい」とちさとさんは言いました。
ちさとさん宅でお茶を飲んでいると、家の中から見える東の空で雷が鳴ったり、いきなり太陽が顔を出したり、川霧が立ち昇ってきたりと目まぐるしく天候が変わりました。
例年になく野菜の出来が良くなかったことに肩を落としていたちさんとさんですが、今年の異常な夏の天気では仕方ないと思いました。
「毎朝テレビで、今日の運勢を見るんだよ」と、楽しい話も聞かせてくれました。「私はてんびん座で、今日は3位だった」と、平穏な日々の中にも小さな喜びを見つけて、毎日を送っているのだなと、微笑ましく思いました。
ここでも、ゆみさんの床屋さんの出番。
ちさとさんは自分で髪を切り、息子さんにすいてもらったそうですが、襟足の部分の長さが気になるようでした。
襟足を短くしてもらったちさとさんは、すっきりして満足げでした。
2015年8月1日
丸山様
地元の方たちが「丸山様」と呼び、毎年8月1日に行われているお祭りを取材しました。
以前は和合じゅうから人が集まりにぎわったお祭りだったようです。
丸山様はその昔、丸山の山頂にあったそうですが、昭和29年の山火事で焼失。
鈴ヶ沢に嫁いだおばあちゃんの話によると、山火事はお嫁に来る前のことで、50キロ離れたおばあちゃんの実家からでも、山が赤く燃えている様が見えたそうです。
山火事後、山頂から丸山様の登山口にある今の場所に移されました。
昔は女人禁制とされ、おばあちゃんは近くに住んでいながら、一度もお祭りに行ったことがありません。
丸山様に限らず、お祭りは昼間からお酒を飲む口実であり、その後、隠れて博打をやるため、女人禁制としたと言われています。
昨年、改築されたばかりのまだまだ真新しい社殿で、例祭が無事、執り行われました。
その後のなおらいは、和合の人たちの世代を超えた社交場となり、笑顔が溢れていました。
地方でも人間関係が希薄になりつつあるご時世、後継者不足で伝統行事が消えていく中で、一つ一つの行事を大切にしていくことの意義を垣間見た気がします。
イモバタ ちさとさん
暑さで何となく元気のないおばあちゃんでしたが、「(農業を)やめるわけにはいかん。畑が草だらけになる。」と、先祖代々の土地を何とか守らなければという気持ちが、もう少しもう少しと、続ける原動力となっているように思いました。
10日前には親指サイズだった鈴ヶ沢なすは、一般のなす程度の大きさまで育っていました。
鈴ヶ沢うりは収穫できるようになり、お茶うけにおばあちゃんが作った浅漬けを出してくれ、前に漬けた鈴ヶ沢なすとうりの粕漬けも出してくれました。
熱中症予防にも良いし、これがあれば何杯でもお茶が飲めます。
「会いに来てくれて嬉しかったよぅ。誰も来てくれんようじゃぁ、寂しいで。一緒にお茶も飲めるし。」とおばあちゃん。
こちらも嬉しくなりました。
ホウノキ ひさこさん
鈴ヶ沢に住む、もう一人のおばあちゃん。
「よくこんなところまで来てくれたなあ。クボジュンさん、もう来てくれんかと思った。」と言われてしまいましたが、はしゃいでいる様がかわいく、私の訪問を心待ちにしていてくれたのかなと思いました。
「暑い、暑い。」と、もんぺの裾を膝までまくり上げていましたが、朝晩は寒く1枚羽織らないといられないのだそうです。
また暑いところへ帰ることを考えたら、鈴ヶ沢から帰りたくなくなってしまいました。
突然の訪問にも関わらず、「何にもない。」と言いながらも、梅の焼酎漬けやおばあちゃんの畑で採れたトマトなど、豪華なお茶うけが次々と出てきました。
鈴ヶ沢なすは収穫までもう少しといったところですが、鈴ヶ沢うりはしっかりと成っていました。
鈴ヶ沢南蛮は、生育が遅れているようでしたが、2~3本は成っていたようです。
うりはお土産にいただき、自宅に帰って早速、浅漬けにして食しました。
普段食べている自家栽培の一般のきゅうりも、この時期は十分みずみずしいですが、それ以上にみずみずしいうりが、鈴ヶ沢うりなのです。
2015年7月21日
●標高の高い鈴ヶ沢は、吹く風が心地よく、飯田市の方からやってくると涼しさを感じられます。もちろん太陽に近い分、照りつける日射しは強く、おばあちゃんに言わせると「暑い」のですが。
●伝統野菜の畑の写真を撮らせてもらおうとすると、「先にあがってお茶飲みな」とおばあちゃん。ここでは、家にあがってお茶を飲んでいかないのは逆に失礼かもしれません。
かぼちゃの煮物などをいただきながら、おばあちゃんがお嫁に来た馴れ初めなんかを話してくれました。おばあちゃんは同じ南信州でも、車で片道2時間かかるところから鈴ヶ沢に嫁ぎました。最初は「なんでこんな山の中に来たの?と周りに言われたけぇど、住めば都」とおばあちゃんは笑います。
●天候不順や虫にやられてしまったりで、おばあちゃんは今年の伝統野菜の栽培に納得がいっていないようです。それだけ伝統野菜の栽培には思い入れがあり、ずっと作り続けてきたというプライドが垣間見えました。