
「また川のそばに暮らしたい」
それが12年住み慣れた家と地域を離れることを決めて、移住先を再び探すことになった時の、家族全員の希望だった。
夫はもともと川好きで、最初の移住先も川沿いを探した。
息子達や娘は、春はまだ寒いうちから、夏は毎日のように川へ降りて流れにのったり、魚を追いかけたり、高い岩から飛び込んだりして遊び、川の楽しさも川の怖さもそこで知った。
私はもう川音の聞こえない暮らしは、寂しくて落ち着かないだろうと思っていた。
そこで新しい土地は「綺麗な川のそば近く」と決めて、随分遠いところまで家族みんなで旅をして探したのだった。

和合の家を紹介してもらったのは、家探しを始めて1年ほど経った頃のことである。
見せてもらった家は、一室を除いて畳がぶかぶかで半ば腐っており、床板も傷み、障子や襖もビリビリだった。
一方、幸いなことに雨漏りはなさそうで、家の中はすでに空っぽ。
家の土台もしっかりしており、窓や玄関の開閉はスムーズ。
これには口々に「おぉ」と喜びの声が挙がった。

人口の少ない山間地域は空き家は沢山あっても、「すぐ貸してもらえる家」や「すぐ住める家」は限られている。
それまで借りていた家も20年空き家だった古民家で、物も沢山残っていたし、傷んでいた箇所は数知れず、簡単には開かない扉や窓は所々にあった。
面白いのはそうした家でも人が住み始めると、息を吹き返したように甦ることである。
だからその家も、手を入れた先を想像することができた。

木も生えてすっぽりと藪になっていた
家の周りもゆっくり見せてもらった。
家の下を流れる和合川の川音は、家の内外どこにいても聞こえてくる。
家の前は草や低木が茂っていたが広く、可能性を感じる。
暮らしに使う山水も、引いてくれば使えると聞く。
家を出てすぐの所には沢もあって、これも使えそう。
見つけたかも・・・。
夫と眼が合った。
夫も同じように感じていたようだった。
数日後にもう一度家族だけで訪ねて「ここにしよう」と決めた私達は、半年先の春を目指して具体的な相談を始めた。
まずは移るまでに、家の中に全員分布団を敷いて寝られる床を確保したい。
できれば服類と、小動物にいじられないよう食材も、家の中に置きたい。
自給家族は米や麦、醤油や味噌などの手作り食材が、やたらとあるのである。
また母屋以外建物がないので、トラクターなどの大きな農機具を置く屋根下が欲しい。
風呂場、トイレ、台所がない・・どうする?
インコ11羽の小屋、どうする?
相談には当時9歳、12歳、15歳の息子達も加わった。
「オレは自分の家を建てたい」と次男が言い出す。
家は小さいが、敷地を平らにすれば色々建てられそう、という話はすでに出ていて、これに長男や三男が乗る。
話しているうちに、新しい暮らしに向けてみんなでわくわくしていった。

家の契約が決まった秋から、田畑作業の合間に和合へ通うことにした。
私達が廃材を使って家を直すことを知った当時の区長さんが、同じ集落でこれから解体する家がある、と教えてくれたおかげで、配管や柱や戸板など補修に必要なものを、すぐ近くでもらうことができた。

夫の大工の腕は素人だが、前の家での経験が生きた。
作業メンバーにはいつも息子達や娘がいた。
手作業の良いところは、小さい子にも何かしら役割があることと、任された事の結果が見えやすいことである。
幼い子を年上の子が補い、助けられることが助けることにつながる。
それまでも私達は、そうして家族みんなで暮らしを作ってきたのだった。

私は春の畑再開を目指して、元田んぼだった奥の藪を刈っていった。

土地の凸凹・斜め具合が見えてきた
家周りを刈っていた時には、山水を見つけた。
家の裏山を少し登ったところの大きな岩の間から、地表に水が流れ出ていたのだ。
水量は十分あり、飲んでみると美味しい。
それまでの家の山水は水量が乏しく、いつも水の心配をしていた。
この水と暮らせる・・・
そう思った瞬間はだから、今も鮮明に覚えている。

ショベルカーをお借りする





あれから11年が過ぎようとしている。
「元気にしてたか、よう来てくれたなぁって色んな人に声かけられてさ。
嬉しかったし、故郷に帰るってこういう気分なんだって、ちょっとわかった気がした。」
「和合の人って、やっぱ面白れぇな。」
今年の夏、和合の新盆行事である「念仏踊り」に合わせて家に戻った息子達が、そんな話をするのを嬉しく聴いた。
あったかくて、優しさと芯の強さを持つ地元の人々。
そんな地元の人達と付き合いながら、それぞれ自分のスタイルで暮らしている移住者達。
子どもの学校と暮らしたい場所を求めて和合にやってきた、山村留学の母子組。
始終顔を合わせるわけではないけれど、小学校や地域の行事で会ったり、一緒に作業したり、呑んだり食べたり、そうした中で少しずつお互いを知って打ち解け、自然と「同じ和合に暮らす仲間」という思いが湧いていく。

和合に移住した頃をこうして振り返ると、あちこちで人に助けられ、励ましや親切をもらったことも思い出す。
おかげで、前の家をを離れようと決めた時に抱えた憤りや無念さや哀しさは、少しずつ癒えていった。
もしこの記事を読んでいる方の中に 移住地を探している方がいましたら、 よい巡り合わせがありますように・・・
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今日のライター:natsu
03年、家族と共に長野県の南方の村に移住。
14年、家から徒歩5分の距離の畑4枚(借地)が、リニアモーターカーの工事現場になることを告知され、暮らしが大きく変わることを想像して移住地を探し始める。
15年春、和合に移住。
3~4年前に3人の息子達はそれぞれ自立し、現在は夫と娘、犬1匹、猫1匹、鶏2羽と暮らしている。

